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zoom RSS 「日本人のDNA」 − (一挙掲載版)

<<   作成日時 : 2011/12/14 11:42   >>

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   「日本人のDNA」

 1. 日本人は農耕民族:

 1−1 現在、地球上にすむ人々のルーツをたどった時、大きく分けて農耕民族と狩猟民族の二つに分けられる。
 
日本人は農耕民族だった。だったと云うのは、既に食料の相当量を輸入に頼り自動車を始めとして世界の技術先端工業製品を輸出して生業としている

現在,いうなれば、「工業民族」とでもいうべきかも知れないがDNAは完全な農耕民族である。

 1−2 世界には農耕民族に分類される国は多いが、完全に4面の海で他の大陸から完全に遮断され、長い歴史の中で一度も(太平洋戦争を除いて)他国から占領されずしかも近代において300年も鎖国という「引きこもり」をした国は例が無く、世界一の
「コテコテ農耕民族」である。

 2. 農耕民族の特徴:

 2−1 無責任DNA: 
 
 農業技術のなかった昔ほど、農業は集団人海戦術でしか達成できない作業であり、特に植物である米や稲の耕作には厳しい時間的、気候的制約があった。

 「集団作業」の結果は、「集団責任」体制を作っていく。

 田植えも稲刈りもあるタイミングで完了しないと、気温や気象条件(台風等)とマッチしなければその結果は惨憺たるものになるからである。

 集団で物事をやると、必ず一所懸命やる奴と適当にやる奴が出てくる。

 村中総出で田植えや稲刈りをした時に、丁寧に且つ迅速に苗を植えていった者と適当にのんびり植えた者との差は、農作物の場合工業製品のように明瞭でない。

しかも、その結果は半年位経たないと分からない。黄金色の稲穂が秋風にそよぐ頃にはどれがだれの成果なんて訳が分からないかも知れない。

 農耕が1年間という地球の自転に合わせた作業であることが、責任の所在をうやむやにするファクターとなり、ひいては日本人のDNAになっていった事は想像に難くない。
 
しかしながら、「天知る、地知る、人ぞ知る」で所詮無責任な人間はどのようなシチュエーションでも周りの人間には分かるものである。

 ただ、悲しいかな農耕民族は非のある人間を徹底的に糾弾したり、正義の徹底的追及が出来ない。若干の非難と軽蔑の眼差しは向けても究極の結論は出来るだけ避けて「まあまあ」と「うやむや」な結論先送りを常とする。

 「集団責任」は結果的に責任の所在を不明瞭とし、最高責任者の免罪はそれ以下の責任者を自動的に免責とする負の効果をもたらしている。

 なぜ、「まあまあ」と「うやむや」でなければならないのであろうか。

 2−2 「村八分」が怖い:
 
 「村八分」という言葉がある。これは田植えと稲刈り以外は村中で「しかと」すると
いう制度だそうである。

 どういうケースで「村八分」になるかと言えば、サボっていた者ではなくてサボっていた者を徹底的に糾弾したり、村でおきた不正のような事件について「まあまあ」と「うやむや」な結論先送りを潔しないような者が対象になるのだ。

 なにしろ、村人同士が「気まずく」なる事が農耕民族にとっては一番の障害である。

 田植えと稲刈りには自分も隣の田んぼを助け、隣の者にも自分の田んぼを手伝ってもらわねば、「タイミング」を逸して1年を棒に振り、飢えと戦わねばならないからだ。

 農耕民族にとってもっとも大切なのは「全体の和」であって、「和」を乱すものはその理由の如何に関わらず排斥の対象になる。
昔、日本を「わ倭の国」と呼んだり、聖徳太子が「和をもって尊しとする」といったのも、関連があるのかもしれない。

 「大和の国」も読みようによっては大きな「和」の国とも解釈できる。

 「村八分」の対象には「変わり者」のレッテルを張り、集団で「いじめ」をするDNAは、現代の子供から大人社会までにはびこる「いじめ」体質として脈々と生きている。

 「村八分」に反対すれば自分が「村八分」になる危険を避ける知恵が、「みんなでいじめる」自己保身能力として備えられた。

 それでも「村十部」でなく「村八分」というところに、農耕民族がいかに集団労働力を必要としていたかがうかがえる。

 2−3「あきらめ」の精神:

 農耕は所詮「自然との戦い」であり、人間の力は現代においても自然の前では非力である。

 まして、昔は殆ど「天まかせ」であったはずである。どんなに精魂込めて田植えをしたからといって台風が進路を変えてくれるといったものではない。

 台風は過去も未来も、地球上の気圧や海水温やなんやかんやのファクターで進んでいき人間の願いとは無縁である。
 
 自然の力の前になすすべの無い農耕民族は、自然を「天」と呼び「神」とも置き換えてあきらめざるを得ない。

 また1年後に期待するしかなく、台風の進路を変えるすべが無い以上「あきらめる」しかないのである。

 時には、台風が来た理由を何かのせいにする事を考えたり、来年は平穏無事な気候でありますようにという「祈り」を祭りや神事を行って「祈る」しかなかった。

 場合によっては、「誰それが、今年は台風が来そうだ」といったせいだという理由まで考え「縁起でもない言葉」を忌み嫌うことも思い付いた。

 言葉自体が力を持ち、何事かを起こすであろうという思想を「言霊・ことだま」の思想といい、この「言霊」の研究だけでもたくさんの専門家がいる。

 どうあがいても対抗できない自然の力の前に、様々な現象、物質等を神に置き換えて崇拝する多神教となり、迷信を信じやすい人種になった。

 いずれにしろ、「淡白で、あきらめの早さ」は農耕民族の特徴である。

 ハリウッド映画でよく見る、絶体絶命でも最後の1秒まで希望を失わないという生き方は、酷暑、冷夏、台風、遅霜、雹、豪雪等と対峙する農耕民族にはDNA上異質のものなのである。

 「狩猟民族」が肉食(タンパク質)で、「農耕民族」の主食が穀物(炭水化物)であることにも「粘り強さ・DNA」の差となって現れているのかも知れない。

 2−4 マニュアルが破れない:

 農耕民族は、発見、発明、時にはルールを無視した「臨機応変な対応」が苦手な傾向がある。

 これは、農耕が自然に支配されながら1年又は数ヶ月という時間の流れの中での作業である事と深くかかわっていると考えられる。

 狩猟民族は、当たり前であるが動物(生き物)を相手にするが、農耕民族は植物が相手である。

 稲や麦は、何処へも走って逃げて行かない。従って「臨機応変な対応」は必要ないのである。

 農耕にとって、1日,2日という時間は問題になる時間の内に入らない。

 それよりも、冒険をするリスクの方がはるかに恐ろしい。なぜなら仮に田植えの方法をガラッと変えてみようと思い付いたとしても、その結果が分かるのは早くて数ヵ月後となるとその勇気が萎える。

 まして、その間に若干の異常気象もあって結果的に不作だったとしたら、一体、原因は「新田植え法」なのか異常気象なのかさえ定かでなくなり、翌年の再試行に期待することになるであろう。

 試してみて失敗なら、1ヵ月後に元の方法で再度田植えを・・という事は農耕では不可能である。

 なにしろ結果が分かった時は飢えが待っているのではうっかりマニュアルを破る事は出来ない。

 即ち、農耕民族は幸か不幸か瞬時に「マニュアル」を無視する決断を求められるシチュエーションにない生き方を求められていたとも云える。

 2−5 土から離れられない:

 農耕民族にとって一番大事なのは、弓でも矢でも家でもなく土である。

 農耕は土の上に成り立つ(一種の水栽培、温室栽培は別)がために土から離れられない習性を、現代の日本人のDNAにまで伝えられている。

 ただ、離れられないだけでない。自分の耕地から離れられないという宿命を持っている。

 農耕民族の「獲物」である耕作物は土に生えるもので、狩猟民族の「獲物」である生き物のように走って逃げないと前述したが、この事は勝手によそへ「獲物」を求めていけないと言うことである。

 今年は台風が来そうだから、「あっちの土地に米を作ろう」と自由気ままに農耕地を求めて移動する事が許されない。(自由な時期はあったと思われるが)基本的に「土地と農耕者と耕地」は1セットでリンクされ、1年周期の自然の中で営まれる生き方なのである。

 従って、農耕民族は決して土地から離れないのである。基本的に。

 このDNAが、阪神大震災後の神戸の復興再開発や、東関東大震災後の東北地方債権計画、道路拡張、空港建設時の立退き時の等価交換交渉の座礁等に見られる気がする。

 全てがそうである訳ではないが、「先祖代々この土地を守ってきたのだから自分の代でこの土地を離れる訳にはいかない」というケースがいかに多いかを考えると、農耕民族のDNAとしか考えられない。

 3. 狩猟民族の特徴:

 3−1 自己責任DNA:
 農耕民族も石器時代にマンモスを倒すのに集団協力体制で臨んだろうから、その点では農耕民族と同様なのに、なぜ白黒をはっきりさせ、自己主張が強いDNAとなったのであろうか。

 マンモスも倒す時も、命がけの働きをする者と適当に後ろから加わって入る者がいたはずである。集団協力体制が必要なら「気まずい」シチュエーションの障害は農耕民族と同じはずなのになぜ個人主義が発達したのだろう。

 根本的な違いの第一は、「獲物」を収穫するまでの周期であろう。

 一頭のマンモスを1年ががりで倒していたのでは人間の方が死んでしまう。

 マンモスも同じ所に1年も黙って立っていないだろう。

 相手が生き物である以上、どんな大きな「獲物」でもせいぜい2,3日で肉に変っていたのではないだろうか。

 戦闘開始から勝利まで長くて3日、普通は数時間とすれば、集団作業であっても、だれが一番勇敢で「獲物」ゲットに貢献したか、だれが一番臆病で最小の「分け前」で納得しなければならないかは一目瞭然であったろう。

 なにしろ、仕事は命がけである。農耕とは訳が違う。不運にもマンモスの牙に掛かれば一巻の終わりである。それだけに「分け前」の分配に「まあまあ」や「うやむや」は許させまい。

 リスクを負ったものにはハイリターンを、リスクを避ければリターンが少ない事も全て自己責任であることを全員が認識していないと、即命に関わるミスとなってマンモスに逆襲されたのである。
 
 しかも狩猟民族にとっての「獲物」はマンモスだけではない。小さな野鼠、ウサギのような一回の食事分にしかならない小動物もある。

 従って、「自分の食い扶持は自分で稼ぐ」という覚悟さえあれば、集団と行動を共にする必要はない。

 勇気と狩猟の力さえあれば、自己主張、他の人間との徹底的論議も可能にする。その結果生じる全ての事態は自己責任であるが、永年の訓練で身についていったと考える。
   
 3−2 規則は破る為にある:

 狩猟民族は、当たり前であるが動物(生き物)を「狩猟」して生活の糧として来た。
 
 動物は、植物である「耕作物」と違って勝手に動き狩猟者の意のままにはならない。

 当たり前だが、動物も捕らえられて食べられてしまうのは嫌だから必死で「狩猟者」から身を守る。

 「狩猟」がかなわねば餓死する人間と、捕らえられれば「食べられる」運命の動物との間には、ありとあらゆる手段を駆使したサバイバルを賭けた戦いの歴史があったはずである。

 「狩猟」の訓練を重ねることにより「狩猟マニュアル」が確立され、それなりの手順で効率よく「狩猟」が可能になっていった事は想像がつく。

 だが、人間も動物も共に「生き物」であり互いの生命を賭けた戦いの中では「獲物」が想像を絶する動きに出る事は充分考えられ、その「マニュアル」にない相手の動きに対しては、一瞬で判断し人間もまた「マニュアル」を超えた動きを求められる。

 「過去のマニュアル通りにやるか」「マニュアルを無視するか」の判断のために許される時間は一瞬である。相手はなにせ生き物、黙って結論を待っていてはくれない。

 このことが、狩猟民族を先祖に持つ人種が発見、発明、時にはルールを無視した「臨機応変な対応」に長けている所以であろう。

 3−3 「獲物」求めて何処までも:

 農耕民族は土から離れられないが、狩猟民族は「獲物」を求めて動く。

 狩猟民族が動くのは、「獲物」が動くからである。じっとしてくれていれば生活も楽であるが、相手も生き物で必死であるからだれの土地だろうとお構いなしである。

 「獲物」の方から「狩猟者」の前に出向いてくれる事が期待できない以上狩猟民族が「獲物」を追って移動する事は必須の作業である。

 勝手に逃げ回る「獲物」が他の「狩猟者」のテリトリーに逃げ込んでも、基本的には「獲物」は仕留めた「狩猟者」に最優先権があり、決して土地の産物ではないのである。

 従って、狩猟民族と農耕民族では土地そのものに対する執着DNAが全く違う。

 もちろん、テキサスの牧場主は牧場という土地を大切にするが、それは牧場としての面積、気候、牧草、立地条件等の価値観であり、場所(番地)そのものとは違う。

 3−4 アメリンドリーム
 
 よく、アメリカンドリームという言葉が使われる。
 
 簡単に説明する時に、「アメリカという国には昨日まで貧乏でも、チャンスさえものに出来れば一夜にして億万長者にもなれる機会均等のチャンスのある国」という風な表現が使われる。

 即ち、自由経済主義をバックにした弱肉強食的・立身出世成功談的な結果論的な捉え方で受け止められている。
 
 なぜ、一夜にして逆転を可能とするチャンスが与えられるかという論拠が農耕民族にはピンと来ない。

 本当のアメリカンドリームとは、「敗者復活・満塁逆転ホームラン」の理論に支えられているから可能なのである。

 「敗者復活・満塁逆転ホームラン」とは、ある意見の者が多数の反対意見のによって排除され不遇をかこっていても、反対意見による結果がNo.とでた時には大いなる拍手で次の新たな

 リーダーとして迎えられというシステム(ルール)を指している。

 大統領が変れば、ホワイトハウスのスタッフ総入れ替えに留まらず、部屋の壁色まで変えられる事を当然と受け止めるDNAがアメリカンドリームの根幹なのである。

 この、「敗者復活・満塁逆転ホームラン」を可能にする精神構造は、狩猟民族であればこそのものであろう。

 狩猟において意見の衝突の結果は、農耕とは比べものにならない短時間で評価の対象になると同時に、逆転のチャンスもまた短時間でやってくる。

 農耕は、春夏秋冬を経ての結果待ちであると共に、その過程で自然の力が左右するとなれば、攻守処を代える事がなかなか難しい。

 更に、「和」を最重要課題とする農耕民族にとっては、一夜にして逆転のリーダーを仰ぐ事は「和」の乱れと捉えらたろう。

 我が国おいては、大企業の不祥事でトップのリーダーが辞任しても、辞任するリーダー達が自分の意見を支持していた部下の中から後継者を選んでいくという姿が当然と受け止められており、リードを誤まったリーダーに異を唱え不遇をかこった者達が、凱旋する事はない。
 
 従って、失敗から学ぶ事は少なく、何度でも同じ失敗を周期的に繰り返す。

 長年経営陣が一体となって組織的損失隠しをしてきた、オリンパスの反社会的行為を、就任僅か半年位で指摘した外国人社長を取締役会で解任し、世界上に知れ渡った後も不正を正そうとした社長の復権を拒み続ける事が、その象徴さろう。
      
 4.DNAの改良:

 4−1 農耕民族である日本人のDNAにも、狩猟民族のDNAに勝る部分も多いはずである。要は、農耕民族の先祖のDNAの中で更なる国際化社会でリーダーシップをとれるような国になるために障害となりそうな部分を改良していけばよいのである。

 その最大・唯一の手段は教育である。幼稚園から大学までの約15年間「天皇陛下は神様だ」と教育すればほぼ(内心はともかく)信じる大人が出来る事は過去に実践済みであり、現代国際社会においても「将軍様は神様」と思わされている国も現存する。

 同じ事を3代教えるとDNAになるそうである。

 中国・韓国・北朝鮮の人々も、あと一代程このままの対日本感で進めばあとは放っておいても、日本人が嫌いなDNAを持った人達になってします。

 一日も早く、お互いが互いの違いを認めた上で尊敬しあう間柄になるよう国家が率先して努力を払わぬと、取り返しがつかなくなる。

                                                                             完

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